代表プロフィール
米澤智子(よねざわともこ)
ワンパーパス株式会社代表取締役/中小企業診断士
一般社団法人PRプロフェッショナル協会認定 PRプロデューサー
PRTIMES公認プレスリリースエバンジェリスト(第三期)
1985年福島県会津若松市生まれ、神奈川県在住。
地域産業を支える業歴30年以上の企業の発信力を高める専門家。
「1枚のプレスリリースで10以上メディア掲載を呼ぶ」ノウハウをベースに、業歴30年以上で地域に拠点をおく中小企業を中心に、コンサルティングから広報PR代行事業まで行っている。
大卒後地方銀行の融資係として200社以上の融資返済困難になった中小企業・個人事業主を担当。少しでも売上を上げるために、ブログやSNSなど自力で広報に取り組む取引先がいたものの、何もアドバイスできなかった自分に不甲斐なさを感じ、合格率約4%の中小企業診断士試験に一発合格、2016年登録。
登録後東京都の中小企業支援機関に転職。町工場の自社開発商品を紹介する展示会を主催する業務を担当し初めて広報PRに取り組むものの、やり方がわからず展示会が掲載になったメディアは1つのみという散々な結果に終わる。
その後クラウドファンディング会社に転職し、ファンドを広める広報PRに顧客と一緒に取り組むものの、ここでもやり方がわからず掲載は0。ファンドの募集金額10%という結果に終わる。
会社員時代に広報PRに一貫して悩まされたことから、広報PRの学校「PR塾」でPRノウハウを学び、自身が運営するうさぎ本専門一棚本屋「本屋うさぎ道(どう)」で自らPRに取り組む。結果1枚のプレスリリースで13件の取材を獲得し、たった一棚の本屋に東は茨城、西は台湾からうさぎファンが来店する店舗に成長、アカウントのSNS総フォロワー数も0から2000人以上になる。
中小企業診断士として自身のPRにも取り組み、webメディアや資格学校の案内誌での取材獲得、専門誌での連載獲得はこれまで50以上。
BtoBビジネスの製造業/小売業/建設業を中心に広報PRの支援実績があり、直近1年間でのメディア掲載実績は50以上。特に信頼性が最も高い新聞記者へとの濃密なリレーションを得意とする。1年で執筆するクライアントのプレスリリースは80本以上。
商工会議所で講師を務めた広報PRセミナーの満足度は90%以上。
- 関東経済産業局 中小企業基盤整備機構中小企業アドバイザー(経営支援)
- (公財)東京都中小企業振興公社 職人ステップアップ事業 登録専門家
- (公財)東京都中小企業振興公社 商店街パワーアップ・ステップアップ事業 登録専門家
- 品川区立西大井創業支援センター インキュベーションマネージャー
代表の取材実績
代表・米澤智子の取り組みや実績について取材いただきました。
代表略歴
母親の里帰り出産により、会津若松市にて出生。
⼦どものころから、伝記を読むのが⼤好き。特に戦国や幕末の⼈物の歴史や歴史⼩説、⼤河ドラマが⼤好きな、いわゆる「歴⼥」。
歴史の変⾰期に志をもって⽣きた⼈々にあこがれていました。
制服なし、校則なしの⾃由な校⾵、それぞれの「好き」や「得意」を極める仲間たちに刺激を受けながら、卒業研究にあたる科⽬「テーマ研究」では、新渡⼾稲造の著書「武⼠道」を元に、武⼠の精神について研究。
この研究論⽂は優秀作品に選ばれ、論⽂全⽂が⽂集に掲載されることになりました。
しかし、⾼校時代はこのテーマ研究に没頭しすぎて⼤学受験の時間を⼗分に取れず、現役合格は失敗。
大学入学式で、体育会居合道部のチラシをたまたまもらいました。
「⽇本⼑を振ることができる」と歴⼥精神に刺さったこと、「みんな⼤学から始めるので、がんばれば⽇本⼀を⽬指せる」という謳い⽂句をそのまま信じ込み、⾒学⽇にそのまま⼊部。
授業後は毎⽇21時まで稽古にあけくれ、夏休みの合宿では早朝5時から夜22時まで技を抜き続ける「千本抜き」の稽古を耐え抜く。
4回生時、全⽇本学⽣居合道⼤会において個⼈戦優勝・団体戦優勝。
神奈川県内の支店で債権管理、創業フェーズの企業に対する融資を担当しました。
入行5年目から本部の総務部門で、銀行全体の総務に関する企画業務に従事。
株主総会運営の他、海外を含めた全営業店約200か店にTVシステムを導入するプロジェクトでは、外部業者と行内調整をリードし、約3ヶ月という短期間で設置を完了。
中⼩企業診断⼠の資格取得後、「もっと中⼩企業⽀援の現場に近い仕事をしたい」と思い、東京都の⽀援機関に転職しました。
最初に配属になった蒲⽥の支社では、東京⻄南部の商店街⽀援を担当し、整体院・あみもの
教室・ネイルサロン・花屋などといった、数⼈で事業を運営している⼩さなお店に、中⼩企業診断⼠等の専⾨家を派遣して、売上改善の⽀援に伴⾛しました。
本社に異動後は、⽣活雑貨品を製造する町⼯場等を約50者集めた展⽰会を主催。ここで初めて、広報PR業務にも携わることになり、展⽰会をメディアに取り上げてもらうために、プレスリリースの作成やメディアアプローチも担当しました。
SDGs達成に貢献する事業に対する、クラウドファンディング(匿名組合契約)による資金調達支援や事業計画策定支援に従事。
各プロジェクトでは、事業の社会的インパクトを測定するため、社会的インパクト・マネジメントの手法導入を支援しました。
中小企業診断士としての中小企業への広報PR支援の実績により、PRTIMES公認プレスリリースエバンジェリストに認定いただきました。
代表インタビュー
Q:なぜ、中小企業診断士資格を取得したのですか?
銀行の支店時代に出会った時計メーカーのような、小さな会社の力になりたい
⼤学卒業後は地元の地⽅銀⾏に⼊⾏。業績が悪化し融資が返せなくなった取引先約200者を担当しました。
そこで出会ったのは、ある時計メーカー。「広告も満⾜に打てないから」と、当時のはしりであったブログで認知度向上を⽬指していました。しかし、ブログのアクセス数は全然増えず…。
中国産や⼤企業の安い製品に押され、そのメーカーの売上は下がる⼀⽅でした。
この時計メーカーの⼒になりたいと思ったものの、当時のわたしは経営に関する知識がなにもなく、融資を元⾦据置する契約を更改することしかできない⾃分に不甲斐なさを感じました。
そこで中⼩企業診断⼠資格を知り勉強を始めたものの、当時は難しくて挫折。その後、異動してきた新しい上司とうまく⾏かず、⼤量の仕事量も引き⾦になって、⼊⾏2年⽬にうつ直前になり、3ヶ⽉休職しました。
復職後は本部に異動し、銀⾏全体の総務業務を担当。たまたま参加した社外のパラレルキャリアのセミナーで「会社員以外の働き⽅」や「いくつもの名刺を持った働き⽅」を知り、「⾃分もいつか、会社にとらわれない働き⽅ができるようになりたい」と、かつて挫折した中⼩企業診断⼠の勉強を再開しました。
平⽇は勤務終了後に、職場近くのカフェで22時まで勉強してから帰宅。⼟⽇は資格予備校の講義の受講と、⾃習室で問題集を解き続けた結果、2015年の試験で一発合格、2016年に診断士登録しました。
Q:なぜ、中小企業診断士として独立したのですか?
不妊治療と正社員の両立に困難を感じ、フリーランスの中小企業診断士として独立
中小企業支援機関に勤務していた頃、プライベートで不妊治療を始めたものの、度重なる通院やホルモン剤治療の影響で休暇が相次ぎ、担当業務が回らなくなりました。
積み重ねていた有給休暇をすぐに使い果たし、⼀度妊娠がわかったものの、すぐ流産。
精神的にも追い詰められたことで、「正社員はやめよう」と、退職しました。
退職後は、中⼩企業診断⼠の仕事を知⼈に紹介してもらいながらマイペースで働いていました。
しかし、不妊治療もあることから仕事をたくさん引き受ける気⼒が起こらず、収⼊は減少。⼀⽅で不妊治療費もかかることから、クラウドファンディングの企業へ正社員として就職しました。
この会社では銀⾏融資が難しい企業に個⼈からのお⾦を集めるというやりがいのある仕事ができましたが、ここでも妊活との両⽴に困難を感じ、7ヶ⽉で退職。「もう正社員で働くことは諦めよう」と、中⼩企業診断⼠として独⽴して⽣きていく決意しました。
Q:なぜ、広報PR専門の中小企業診断士として活動しているのですか
どの中小企業も、必ず「認知度向上」が課題にあがる
中小企業診断士として独立してから、銀行やクラウドファンディング企業に所属した私の経歴を見て、融資や補助金など、お金にかかわる支援を求めてご依頼をいただきました。
もちろん診断士としてそうした仕事には対応できるものの、これは私の「得意」で「やりたい分野」ではないように感じ、「私の軸は何だろう?」と考えました。
思い出したのは、銀行時代に出会った時計メーカーの社長さんが書いていたブログ。「どうしてこんなに、がんばって仕事に向き合っているすばらしい社長のことが、知られていないのか」と悔しさを感じたことを思い出しました。
この時計メーカーの社長は「広告が打てないから」と自らブログを書いていましたが、これこそ、広報PR活動です。
また、診断士資格を取得してから副業で始めた経営者インタビューでは、中小企業経営者を取材し、webメディアに公開して、経営者の思いを多くの人に知って頂く取り組みに大きなやりがいを感じていました。中小企業の多くは、宝物のようなエピソードを持っていますが、それを外部に発信できるだけの人的リソースも、時間もありません。
また、中小企業支援機関にいた頃に広報PRの仕事で悔しい経験をしたことも思い出し、中小企業診断士として広報PRを支援の軸にしている人も少なかったことから、「広報PR専門の中小企業診断士」として生きていくことを決意。
2022年9⽉には⼀般社団法⼈PRプロフェッショナル協会認定・PRプロデューサー資格を取得し、広報PR業務を開始。業務拡大を視野に入れ、2022年11月に「PRのチカラで社会にインパクトを生む」ことをミッションに、social impact PR株式会社を設立しました。